久しぶりにミスター赤ヘル「山本浩二」で盛り上がる
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久しぶりにミスター赤ヘル「山本浩二」で盛り上がる

ミスター赤ヘル・山本浩二氏が公の場から姿を見せなくなって約8カ月。
確か、昨季4月のカープ戦中継で解説を務めていたのは覚えていますが、体調不良と知ったのは、サントリードリームマッチの「ザ・プレミアム・モルツ球団」を率いているはずの山本浩二監督が欠席してからでした。

いろいろな憶測が流れて、情報が何も出てこないので、心配する声が多かったです。
そんな中で流れてきたのが、田淵氏の殿堂入りを祝福するコメントでした。
カープファンの間では、久しぶりに流れて来た山本浩二氏の話題で盛り上がっています。

田淵氏の法大時代の同期で「三羽ガラス」として活躍し、北京五輪でともに星野監督をサポートした山本浩二氏(73)も、殿堂入りを喜んだ。

山本氏が田淵氏と出会ったのは1964年、東京五輪が終わった直後の12月、兵庫県洲本市で行われた法大のセレクションだった。そこからチームメートとなって56年。東京五輪イヤーに田淵氏は殿堂入り。「ブチ、野球殿堂入りおめでとう。もっと早く入っても良かったと率直に思う。間違いなく天国の仙(星野仙一氏)も喜んでいるだろう。長い付き合いになった」と自分のことのように喜び、祝福した。

法大で富田勝氏とともに「法大三羽ガラス」として、しのぎを削ったが、入学当初は違った。「春のリーグ戦が始まると神宮球場で切符切りしていた私たちを尻目にブチは1年春からベンチ入り。そんな姿はうらやましかったし、ブチへのライバル心は私の支えになった」と振り返る。投手として、65年6月4日に行われた新人戦の慶大戦(東大球場)で投手を務めた山本氏は人生で1試合だけ、田淵氏とバッテリーを組んだ。「なぜか真っすぐしか要求してこない。“何でや?”と文句を言うと“オヤジさん(松永怜一監督)から真っすぐしか投げさせるなと言われてるんだ”という。打たれて投手を諦めさせたかったらしい」。2年から山本氏は野手に転向。プロでは「ミスター赤ヘル」として通算536本塁打を放った。

「2008年の北京五輪で星野仙一監督の下、ブチと私でコーチを務めたことは一生の宝物」と話す。悲願の金メダルには届かず4位に終わったが、東京六大学時代からの盟友と同じユニホームで日の丸をつけた戦いの記憶は鮮明に残る。

「昨年、私が体調不良の間も気に掛けて何度も電話をしてくれた。ブチの姿を見ながら、野球界に少しでも恩返しできればと思っている」

2人の絆は昭和、平成、そして令和の時代に入っても色あせることはない。

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山本浩二氏の近況について

いろいろな情報が入り乱れていますが、公の場から姿を消して、病気療養中であることは確かのようです。
入退院を繰り返しているという情報もあるようですが、今回のコメントを出せるほどの体調であることは確かのようです。

ただ、コメントだけの登場と言うことで、またいろいろな憶測も飛んでいます。

ファンとしては、早く現場に復帰していただいて、またカープ戦の中継の解説を、池谷さんとの名コンビに加えて、野村謙二郎氏のトリプル解説を聞きたいと思っています。
山本浩二監督時代を支えた投手の佐々岡監督就任で、今は現場復帰に向けて療養されているものと思います。

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